昨日、りゅうちぇるがぺこりんと子どもの名前を、腕にタトゥーしているというニュース見て。
そして今日、高校野球の球数制限に関する話題を見て。
10代から20代前半のころの衝動と感受性って特別だったよなあ、なんて思いだしました。
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りゅうちぇるのタトゥーの話。愛する人と抱き合ってもその境界がもどかしい、なんて小説とか歌とかで昔から時々出てきていた表現で、だからこそ自分の身にタトゥーを入れることで、ぺこりんや子どもと一心同体であることを感じたかったのではないか、とか思ってしまった。ほんとのところはわからないけど、家族の名前をその身に刻むって、一心同体になることに近いと思ったんだよな。
でもこういう感受性って、若いころにしかないような。
そして高校野球の球数制限。ツイッターでもつぶやいたけど、球数制限があったら金足農は決勝に行けてなかった。仮に、監督はじめ、周りの大人がこのままじゃつぶれるかもしれないからもう投げるな、と降板させたら本人は納得するだろうか。たぶん否。きっと、プロよりもこの一瞬にかけたい、という気持ちが彼にあったんじゃないだろうか。甲子園は特別。歴史になるから。
こういう衝動も、若さゆえだよな、と思ったり。
かつて、「いい高校に行って、いい大学に行け、そうすれば人生安泰だ」というようなことを親に言われ、反発心を持った人は少なくないのではないかと思う。アラフォーの私から少し上の世代とか。あれだって、今になって思えば親は親なりの価値観で子供の幸せを願っていたにすぎない。幸せを願っての発言だったろうけど、当事者からすれば余計なお世話でしかなかった。
そして今、高校球児をあんなに酷使するなんて虐待だ、球数制限しろ、ローテーションするようにしろ、ドーム球場にしろetc、それって全部、あの頃の親たちと同じようだな、って思う。心配しているようで、本人たちの思いは蚊帳の外。本人たちからすれば「余計なお世話」以外の何物でもないと思うんだよな。
いずれにしても、10代~20代前半の若さがまぶしいな、と思う。気づけなかったけど、もっと大事に生きればよかったなあ、とアラフォーになって思うのでした。